

「わからない」から、試行錯誤へ
「わからない」から、他者に出逢えます。 「わからない」から、世界は広がります。 朗読は、「わからなさ」を愉しめる読書法です。 ☆…。…。。。…☆☆。。。……。 文学作品の語り手は他人なのですから、その頭の中や心の中は、そう簡単にはわかりません。わからないことを前提に、朗読という読書法は始まります。 潜在意識が「わからないのは失敗」と捉えていると、わからないことは苦痛になってしまいます。苦痛を避けようとして、「わからないことがわからない」状態になるのでしょうか。 「私にはわかっている」を前提にしていると、文学作品を、無意識のうちに理解可能な形へ置き換えて、わかったことにしがちです。結果として、音声が目的となってしまいます。あるいは、「忙しいから朗読してるひまなんてない」と遠ざけてしまうかもしれません。 一方で、「私にはわからない」を前提にできると、わからないことを受け取る余地ができます。つまり、朗読という読書法で「新しい回路」が生まれ、文学作品をそのままの形で受け取れる自分に成長する可能性が開かれるのです。 ただし、試行錯誤が欠かせません。...


試行錯誤に、チャレンジ
語り手の体験と同じ体験を急いでいませんか? 正解の音声を探していませんか? 音声を目的にしていませんか? それは、朗読ではないのかもしれません。 朗読の定義をあらためて確認しておきましょう。 『語り手の体験と同じ体験を“試みる”行為』でした。 仮説と検証を繰り返す。 その試行錯誤を愉しむ。 これが、朗読という読書法です。朗読の音声は、自らの虚構体験を仲間に開く手段となります。 どのように仮説を立てるのか? どのように検証するのか? レッスンでは、仮説の立てかたと検証のしかたを、ゆっくり時間をかけて解説しています。 仮説を立てるのも、それを検証するのも、初めての体験かもしれません。戸惑って当たり前です。 わたし自身の例をあげて、「こんなふうに仮説を立てましたよ」「こんなふうに体験しましたよ」と、試行錯誤の一つひとつをお話ししています。 お仲間が試行錯誤するご様子も、とても参考になります。 慣れていないのですから、はじめからすんなりいかなくて当然です。「なんだっけ?」と立ち止まったときには、お仲間やわたしの仮説と検証をなぞってみるのもいいですね。..


「試行錯誤がたのしいです♪」
先日のレッスンでは、Kさまの「試行錯誤がたのしいです♪」とのお言葉に、「ほんと!そうですよね〜」と大きく頷きました。試行錯誤の回数が多ければ多いほど、脳は耕されるように感じます。ご一緒に試行錯誤をたのしめて、とても幸せです。ありがとうございます。 さて、試行錯誤は「わからないこと」がわかるところから始まりますが、「わからないことを面白がる人」がいる一方で、「わからないことが苦痛な人」がいるように感じます。 教室で拝見していて、この方はわからないことが苦痛なんだろうなと感じることがあります。たとえば… (既存の回路で理解しようと)一生懸命になる一方で、(それで追いつかないときは)聞くこと自体を手放しているように見えます。そして、「難しい」という言葉や、「〇〇の説明はわかりやすい(わかりづらい)」といった判断の言葉が出てきます。周りの人に、「どう?わからないよね」「難しいよね」と言葉や目線で同意を求めることもあります。「わからない私が悪いのではない」と、無意識のうちに自分を守ろうとする反応なのかもしれません。 わからないことが苦痛なのだから、このよう


